資源循環プロジェクト支部(PARI)Vol.7
2004年12月9日

フランスからの便り第2弾が来ました。

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今日は、パリはもう冬本番です。モンパルナス駅前広場には屋外スケートリンクも設置され、
先週の土曜日から開場され、連日たくさんの若者達で賑わっています。
さて、この間教えていただき感動した禎子の折鶴物語ですが、不思議なものですね。
先日地下鉄サンジェルマンデプレ駅で、窓からふとホームを見ると折鶴が眼に入ってきました。
慌ててホームに降りて見ると、展示物ショウケースに数羽の折鶴と禎子物語の説明がありました。
駅の職員に尋ねると、9月から三ヶ月展示するらしく、ぎりぎり間に合ったというわけです。
何かの引き合わせでしょうか...
fsun本部の土瀬戸さんの書き込み読みました。

2002年日韓ワールドカップ決勝戦での折鶴の舞いは、本当に素敵な発想だと思いました。

ただテレビ中継を見ていた世界の人々は単なる紙くずが舞っているとしか思っていなかったでしょう。

決勝戦後空から舞い降りてきたのが、日本全国の子供達によって折られた鶴と言う事など、フランス人の誰も知りません。

ワールドカップという全世界の人々が注目している最高の場で、本当に惜しいことをしたと思います。

折鶴に込められた日本人の心、平和への願いを伝える絶好のチャンスでした。
私達日本人は本当に発信や主張が下手な民族だと思います。
12月21日から1月5日まで日本に帰ります。
 

資源循環プロジェクトPari  松岡 良治

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Metro St Germain des Pres

 

St Germain des Prers

 

 

  

 

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広島の「原爆の子の像」のモデルとなった

佐々木禎子(ささきさだこ)さんの物語。


佐々木禎子さんは、爆心地から北方約2kmの

広島市内の三篠町の自宅 で、 2歳の時に、

被爆しました。
禎子さんは、1955年2月、亜急性リンパ腺白血病と診断されて、広島赤十字病院に入院しました。 同年5月から、禎子さんは薬包紙や見舞い品の包装紙で、鶴を折り始めました。
「 こうして鶴を千羽折ればきっと私の病気はなおる……」
しかし、同年10月25日に、原爆症で亡くなられました。
12歳の生涯でした。

彼女は折り鶴を、亡くなるまでに644枚を折りあげて、 残りの356枚は彼女の同級生によって折られたそうです。
そして、その千羽鶴は彼女と一緒に埋葬されました。(これは、Eleanor Coerr の本に書かれたものです。)

(※その後の調査では、 佐々木家をはじめ、さだこちゃんの横に一緒に入院していた倉石さんのお話からは、彼女は1000羽以上折ったそうです。)
広島平和公園の「原爆の子の像」は、 1958年に完成しました。


「さだこと千羽鶴」の話は、数十カ国の言葉に翻訳され、世界中で平和教育のために読み継がれ、子供達に深い感動を与えています。

 

http://www.sadako.org/

 

   

 

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